集団の意識レベル。当たり前の基準を変えるために新しいグループに飛び込む。

アメリカと日本とでまるで文化や国民性が違うのと同様に、それは例えば北海道と沖縄でも大きく異なるし、もっと細分化されて家庭や部活とか、そんな小さな集団でもそれぞれ違う。

昔、野球少年だったわたしは、強さがほとんど同じ近くの小学校とよく練習試合をしていた。勝ち負けは五分五分でそんなにレベルの違いはわからなかった。

ある日、公式の試合で他のいろんな学校の野球部が集結した。ユニフォームの色が違えば、体格がいいやつらばかりのチームもある。

ああ怖い。あんなやつらに勝てるわけがないと最初から思っていた。案の定、試合をやるとボコボコにされてしまった。同じ年齢なのに体型が違って、表情に余裕があって、応援歌も迫力があって、うまくて、ユニフォームの着こなしも洒落てる、、、と、このいろんな差に気持ちが萎えた。

小さい頃はそういう差異を今よりもっと痛烈に感じ取っていた。野球だけじゃない。例えば同じクラスで小学校1年生なのに絵が異常なほどうまいやつがいる。計算がすごい早さでできたり、文字が美しかったり、足が速かったり、アクロバットができたり。

高校くらいになると、シャレたファッションの連中が現れる。そんな高そうでカッコイイ服、どこで手に入れるんだ? そもそもうちの高校はバイト禁止だぞ!

所属している集団によっていろんな方面で、大きな差がでる。一人でいてもなにかを究められる「天才」はたまにいるけれど、そいつらを除いた大半の人って、所属する集団によって、意識のレベルや趣向がある程度決まってしまうんじゃないかな?

新しいグループに入り込むと、当たり前の基準を変えられる

「何かうまくなりたけりゃ自分よりもっとうまい連中が集まってるところに身を置くのが一番手っ取り早い」と言われてきた。それで当たり前の基準を大きく変えられるから。

わたしもたまに自分のレベルには合ってないと思うほど技術もセンスもハイレベルな踊りのレッスンに参加するようにしている。振り付けはもちろん、準備運動すらついていくことができない。できないことが積み重なるとだんだん苦しくなってくる。「自分はこんなに下手くそだったのか・・!」とおもう。1.5時間のレッスンを終えるころにはできないことが思い出せないほど山積みになっていて笑えてくる。

たった1.5時間で自分にとっての「当たり前の準備運動」や「当たり前の振り付け」は崩壊する。今までなんてヌルい準備運動をしていたんだとか、なんであんなに雑に踊っていたんだとか、自分の中で「それでいい」と落ち着いていたものたちが目を覚まして暴れ始める。

チクショウと思いながら復習してリベンジして、またやられるの繰り返し。それを続けるとだんだんその場所にも馴染んでくる。時間はかかるししんどいけれども、いつかは自分の中の当たり前がごそっとすり替えられている。それを実感できたら、やはりここに来てよかったと思える。先生、ありがとう。

ところで「意識レベル」って言葉を使ったけど、「レベル」というと「上下」のイメージだから単純に上手か下手かってこと。これとはまた別で「意識ベクトル」ってのもある気がする。新しい集団に飛び込むと、知らない分野のことについて詳しい人たちが必ずいる。今回は細かく触れないけど、知らない方面のことをどんどんインプットできるってのも、新しいグループに飛び込む良さだったりする。

同じグループにずっといると、安心できるし、心地よいし、認め合えるし、たくさん良いことがある。でも話してる内容とかやってることが毎回同じでマンネリ化してきたなと思い始めたなら、ほかの集団に思い切って飛び込んでいって良い影響を受けて、あとから元のグループともそれを共有しあえば、みんなと居るのがどんどん楽しくなっていくんじゃなかなぁとおもう。

おわり

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