猿真似にならないように、あこがれの人の原点をのぞきにいく。

いろんな分野でカッコイイ人や輝いてる人がいる。1人のダンサーには、たくさんの憧れのダンサーがいる。影響をあたえる人がいる。

そんな人たちから学ぶことはたくさんある。その道の素人だと、まずはそういう人たちのやっていることををまねることから始めるのが普通だろう。

しかしその道に長年携わっていると、誰しも行き詰まることがある。自分でがむしゃらに何か新しいものを生み出そうとしても出てこない。カッコイイ人を見ても、いまはこれ以上の学びがない。

そういうときこそ、憧れの人の原点をのぞきにいくのがよいと思っている。

憧れの人の原点を知る

わたしが踊りをはじめたきっかけは今時の若者らしくYouTubeだった。そこで偶然その年の世界一の踊りを見て、衝撃を受けてすぐにマネをした。ほかにも好きなダンサーをみつけてはマネをしていた。

しばらくコピーを続けると行き詰まってくる。あの技、マネしようにも難しすぎてできないし、他に自分のレベルで吸収できそうな動きももうない。当時は目が肥えていなかっただけに、彼らが何をやってるか理解できないということもたくさんあった。

…ふと、目の前の画面上で踊っている人たちは、わたしと同じように初学者だったときにどのように学んだのだろう、と疑問に思った。

特別に好きだったダンサーをピックアップして、その人の原点を調べ上げた。たどり着いたのはその人の師匠。白黒のビデオテープの映像しかなくて、とにかく見にくい。

難しい顔をしながらじっくり見て行くと、あの憧れのダンサーがやっていた動きをもっと鮮明にやってのけている。これならどのようにやればいいのか理解できる。

ほかの好きなダンサーも同様に「この師匠あってこそのあの人なんだ」と、自分の好きな人たちの原点がわかるとおもしろい気づきがたくさんあった。

憧れの人のモノマネではずっと二番煎じ

当たり前のことだけど、マイケル・ジャクソンのモノマネをする人たちが、マイケル本人になることはできない。

モノマネは永遠にモノマネの域を超えられない。

その人に憧れて、マネをして学ぼうとする姿勢は良いことだけれど「ひとりでは多すぎる」。つまりその人ばかりをみていたらだめだと思う。

原点を知れば、だぶらない。

自分が憧れる人物の原点を見に行く。憧れの人の師となる人物は必ずいる。師はどんなことをあの人に教えたんだろう? そんなことを考えていると、徐々に自分のほうがその師から影響を受け始める。

そこで受ける影響は、当然自分のあこがれの人物とは解釈が異なるわけ。それがなにかの創作につながるとき、あこがれの人物とも表現の仕方が異なってくる。いよいよあこがれの人物とやることがダブらなくなってくる。

気をつけたいのは、その人物の目に見えることをモノマネしたらだめだってこと。吸い取るべきはもっと抽象的なところ。カタチになっていないところ。こういう考え方をしたから、あの創作にいたったんだろうって想像すること。

ある人物の思想を取り入れることは罪じゃない。「猿マネ」や「パクり」が罪とされるのは、それが具現化された「最終形」つまりその人の「創作物」とまったく同じものをつくろうとしたり、そのものになろうとするから。考えがないから。

同じ思想をもっていたとしても、創作物が違えばそれはパクりじゃない。ここが大きな違い。

原点を知ると、あこがれの人がもっとはっきりと見えてくる

あこがれの人物の原点を研究したあとで、またその人を見直すと、新しい人物に出会ったように思えてくる。あの教えがあったからこの作品ができたのかも。とか、その人のやってることがいままでモザイクがかかっていたように曖昧にしか見えてなかったのに、もっと解像度が高まって見えてきたりする。

行き詰まってた自分の創作がまた進みはじめると思うと、うきうきしてくる。

おわり

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