考えが煮詰まったときこそ読書。他人に考えてもらうために本を読む。

いろんな人に話しかける旅

煮詰まったときにだけ本を読む

本を読むタイミングについて考えたことがあるだろうか?

20歳くらいまで本を読むのが苦手だった。嫌いじゃないんだけど、長いこと集中して読んでられない。読んでると他のことをしたくなってくる。そんなことばかりだった。

ただまれに、自分の中のプロジェクトが行き詰まってこれ以上進められなってしまったとき、図書館にはいって偶然見つけた本を手にとって読んでみると、スムーズに体に流れ込んできて、あっという間に読み上げてしまうことがあった。読み終えたあと、結界して水があふれてくるように煮詰まってたプロジェクトがまた進んでゆく。本は苦手だったけれど、そういうことがたまにおこるもんだから、嫌いになれなかったのかもしれない。

本を娯楽として読める人にとっては無縁の話かもしれないけど、わたしのように本が苦手と思い込んでる人は、考えが煮詰まったときにだけ本を手にとってぱらぱらと読んでみるのがいいんじゃないだろうか。

対話するように本を読む

人の話を一方的に長い間聴くことは、わたしにとっては罰ゲームのように苦しい。一緒の空間にいるのなら、わたしも話したくなってくる。あるいは、それをBGMにして他のことをしたくなってくる。勝手な想像だけど、本を読むのが苦手な人ってそんな性質を持ってる気がする。

よく言われることで、本にツッコミを入れながら読み進める。読み進めるというよりは「話し合う」と言ってしまったほうがしっくりくるかもしれない。

「そう、オレもそうおもう」

「君の意見は理解できないけど、おもしろいね」

なんて、どんなに有名でおエライ著者にも親しみをもって話しかける。

校長先生の話はだいたいつまらないけど、隣の友達と先生の話にツッコミいれながらクスクス笑っていると、朝会が楽しくなる。あの感覚に似てる。

著者と話し合いながら進む

対話して読み進めていった本は、いちいちツッコミいれて笑ったからこそ印象に残る。一冊読み終える頃には、特に刺激的な箇所がいくらかみつかっている。

そうやって著者と話し合いながら得た刺激は、漢方のようにじわじわきいてきて、悩んでたことや抱えていた問題がサラッと解決することがある。

不思議なのは、自分の頭が煮詰まっていたり、最近なにかうまくいかないな、とぼんやり思っていたときにしか、こういう効き目を得られないことだ(もしかすると私だけの問題かもしれないが・・)。

多読の危険性

ショーペン・ハウアーは「多読は危ない」と言った。読書は人の考えた過程を反復的にたどることだから、ずっと本を読んでいると、自分自身で考える力を失うという。

グサリとくる発言だが、これは現代でいうなら「テレビを見すぎるとバカになる」ってのと同じことじゃないかな。大学の卒論を書くときに「論文の理想は何も見ずに書くことです」と先生が言った。本も読まず、引用もせず、ただ自分の経験と想像だけで文章を書き上げろということらしい。

これはさすがに極端すぎる例だけど、何事も本当の意味で信頼できるのって、自分の経験から得た考えや教訓だといえることは確かだ。

ただ、自分の経験だけでずっと語ってられる人なんて一部の天才を除いて世の中にいないだろう。誰だって行き詰まることがある。本を読みすぎるのは毒かもしれないけれど、思考停止状態のときにパラッと気楽な気持ちで一冊の本をめくれば、きっとなにかのヒントを授けてくれるに違いない。

おわり

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