お店ではなく店員を愛する

好きだったコーヒー屋にいかなくなった。素晴らしい接客に、素晴らしいコーヒーを提供してくれる店員さんがだんだんフェードアウトして、最終的にいなくなってしまったからだった。そうか、あそこのコーヒーが好きだったわけじゃなくて、あの人が淹れるコーヒーが好きだったんだなぁとすこし乙女っぽいことを思った。

一連の流れを含めて、価値ある一杯

お店にはやっぱり柱となる人間が必ずいるでしょう。堂々とカウンターに立って、ゆったりした雰囲気でこちらを落ち着かせてくれるのに、いざ何かつくるとなるとキリッと表情がかわって、華麗な手さばきでささっと手際よくできあがり。なにか頼んだものが出てくるまでの所作、流れ、雰囲気、すべてが出てくる一品に宿る感じ。これがおっちょこちょいで皿を何枚か落として割ってへこへこされたあとにつくったものだったら、たとえまったく同じ味だったとしても(そもそもそうなりはしないが)まずくかんじてしまうだろう。

「いらっしゃいませ」は別にいらないけど会釈すらしないとか、グラスをドン!と音を立てて置くとか、店員によっていろんな違和感がある。適当にやってる店員じゃ気づけないさりげない違和感の積み重ねで、最終的に出てくる一品の価値がどんどん下がっていってしまう。

看板娘・看板息子

一品が出てくるまで一連の動きを見てそのお店に通うかどうかきまる。自然と「あの素晴らしい店員がいるからあそこに行こう」という気分になって、その人の出してくれる一品が楽しみでウズウズしながら足を運ぶ。必ずしもなにかつくってる必要はない。素晴らしく気の利いたウェイターさん目当てでいったりもする。そうやって人間を愛し始めたら、結局味なんて関係なしに通い始める。

アジト

おじさんたちに行きつけのスナックがあるように、我々のような若者もそういう目当ての人がいる店をもっておくとたいそう楽しい。そこは気が利いて我々を自由にさせてくれる店員のいるアジトになる。その店員と話せるのなら話せばいいし、話す必要がないのなら、自分一人で黙々とその味を楽しむか、やるべきことがあるなら心を落ち着けてそのことに没頭すればいい。なにせここは癒しの空間なのだから。

別れは突然に

好きで通いつめたお店でも、今回のように目当ての人がいなくなるとパタンと行かなくなってしまう。結局はお店を愛していたわけじゃなくて、その人になにかつくって出してもらうことを楽しみに行っていたのが身に染みてわかる。店員と深い仲になることはないし、それでかまわない。ただ、最後くらい「今までありがとうございます」という気持ちを伝えたくなる。だから素直に言うと、店員さんにはやめる直前、名札に「今週でやめます」と書いておいてほしい。無言で花束を持っていこう。

おわり

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