もっと人に会ってみたら?

閉鎖的な関係が好きだ。

気の知れた仲間と遊んでいる方が、安心してふざけてられるからだ。

人見知りしない人を見ると、この人に警戒心はないのか?と驚くと同時に、うらやましくも思う。いわゆる人あたりのいいひとに対しても同様に。こういう人たちは兄弟姉妹とうまくやってきたんだろうなぁとか、相手が何を求めているか想像する力があるんだろうなぁとか、実はその反対か?とか考えてしまう。

仲が良くなると、無礼で愚かなこともやるし、恥ずかしいことも思い切って言う。そこにユーモアを感じ取ってくれる人だとわかれば。結局、人との関係は、ほとんど対話によって成り立つものだから、長い付き合いになるか見極めるのに一番手っ取り早いのは、皮肉めいた発言に笑って対応できるかどうかだと思う。

そんな自分を貫いて、誰とでもうまいこと付き合えるのなら苦労しないが、実際には気をつかって話を合わせる自分もいれば、無口な自分もいる。冷静ぶってカッコつけることもあれば、でかい声で威嚇するような発言をしたりすることもある。

威嚇する猫

場と人間に合わせて、さまざまな自分の顔が浮き出てくる。不安定で、危なっかしい状態。こうなってしまうから、どうしても新しい人に会って喋ることをめんどうなことだと思ってしまう。

めんどうを避けるために、知らぬ人がいる場には出来るだけ顔を出さないようにしてきた。身の回りには既にいい仲間がいるし、その関係だけで十分に楽しめていたってのもある。

ふと、いま身の回りにいる人に初めて会った時のことを思い出してみた。学生の頃からの友達、ダンスで出会った友達、友達の店で出会った友達、友達の友達、あとは会社で仲良くやってる同僚。

案外人とつながるきっかけって少ないもんだなと。電車で対面に座った見知らぬ知性を感じるちょっと年上の色気のある美女に声をかけたらどう転ぶんだろうと想像するも、まぁやらない。いろんなリスクを感じる年頃になってしまった。めんどうごとに巻き込まれるのはゴメンだと、冷めた目で見てることに嫌気がさしてくる。

損得で物事をみる目が必要なこともあるけれど、それを何にでも適用するようにクセ付いてんじゃないか?と疑った。損得で考えると容易に決着をつけられるようになる。2択で済むんだから頭も使わなくていい。楽だ。

でも同時に、他に無数ある選択肢を見逃してるかもってこと。初見の人に会って「あの人は発言も髪型もタートルネックもカッコ悪いから喋らなくていいや」で片付けちゃいけないってこと。そうやってぶった切るのもまた、ずいぶん楽だ。サボりだな。

枝分かれは無数に

正直こんな内容を書くつもりじゃなかったのに、これまで新しい出会いに対して、楽をしすぎたと反省し始めてしまった。まったく意味がわからない。

昔から「楽しいことにはめんどうがつきものだ」という名言じみた台詞を、自分の本当に好きなことにはしっかり当てはめるわりに、日常の何気ないけれど楽しくなりそうな物事に対してはそう考えることを諦めていたように思える。

そろそろ頭がカタくなりそうな年齢になってきた。
毎日意識的にアタマをまわしていこうと思う。

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